残念ながら今回はウチ(シーガル)ではないが、まもなく行われる大好きな内田勘太郎のLIVE情報をちょこっと。

内田勘太郎 SOLO LIVE in KURUME vol.2
・DATE. 2005.4.22(FRI) Open/18:00 Start/18:30
・TICKET. reserve.3,000 yen doors.3,500 yen(with 1 drink)
・イズミホール(IZUMI Hall)久留米市六ツ門町(泉屋酒販(株)本社ビル3F)
livedoorMAP[地図]
・INQUIRY Phone.0942-32-7111
・Opening Act:TOMO 小雪
・Produce : 久留米勘太郎会
・E-MAIL : info@tarzan-sound.com

内田勘太郎との最初の出会いは、199x年(はっきり覚えてない)にウチのホールでやった憂歌団のライブだった。PAは日田のT氏だったのかなあ。憂歌団は高校時代から仲間内では、はや伝説のバンドと化していて、大ヒット即放送禁止歌となった「ビルのおそうじおばちゃん」他、様々な楽曲を雑誌のコード進行付き譜面を横目にギター弾きながら唄っていた。そういや、ブルースのコード進行なるものを漠然と気にし始めたのもこの頃だったなあ。

当時の憂歌団はどちらかというと勘太郎よりはボーカルの木村クンの個性が強烈で、とっかかりはやっぱり「ゲゲゲの鬼太郎」のあのしゃがれ声だった。勘太郎の存在を知ったのは、憂歌団をある程度聞き込んでからだったと思う。

「憂歌団にはすごいギタリストが居る」

何でウチのホールでやることになったのかもはやよく覚えていないが、話が来たときには二つ返事でやろうと決めていた。ホールのキャパは200人。ひょっとすると入りきらんかも知れんと思ったのと、10〜20代の頃演劇の世界に足を突っ込んでいて、赤テントの状況劇場公演などを経験していたからか、即座に思いついたのは「半分、桟敷にしよう」だった。詰め込みが利く。

ドサまわりのテント劇と憂歌団のイメージが私の中ではピッタリと重なっていたのかも知れない。

多少面くらい気味なお客さんに入口で靴を入れるビニール袋を配りながら、いざ開演・・・シビレタ!今の出で立ちと雰囲気がちがって、当時の勘太郎は確か多少ぼさぼさの長めの髪にサングラスって感じだったような気がする。

カルピスのビンだったとか聞くが、唸るようなボトルネックのギターはそれまでラジオやレコードで聴いていた憂歌団の音楽を根底から覆すような強烈な印象だった。「こんな人が居るんだ」

ライブ終了後、憂歌団の面々と一緒に飲んだんだけど、ライブの印象ばかりが強烈で飲んだときのことはよく覚えていない(当時は若かったから、決して酩酊していたわけではない(苦笑))


その後、憂歌団は突然の解散となり、勘太郎は沖縄へ移り住む。発心コンサートを初め市内のライブで内田勘太郎として会うようになったのは最近のことだ。

2002年、発心コンサートで「内田勘太郎トリオ」として沖縄からベース・パーカッションとともにやってきて、そのパワフルな演奏でまた存在感を新たにした勘太郎は、以来毎年久留米を訪れてくれるようになった。風体は変わっても、勘太郎のギターはあの頃と少しも変わらない。私よりひとつ年上なのに若く見せる(笑)?勘太郎はそれからときどき一緒に飲む機会が出来、ステージ上の伝説だけではなく、少しだけ身近な存在になった。

今度も何とか都合をつけて行きたいなあ。

TARZAN SOUND SYSTEM
http://www.tarzan-sound.com/
発心コンサート
http://www.tarzan-sound.com/hossin/index.html
内田勘太郎オフィシャルサイト
http://www5e.biglobe.ne.jp/~k-funk/
憂歌団
http://www.listen.co.jp/xtpart1000246.jsp


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