良山中卒業式
3/14、なごり雪の降る肌寒い朝に中学校の卒業式があった。

親にとっては、まあ義務教育の終了式だともいえるけど、出席している保護者の思いはそんな簡単なものではないよね。中学3年間、いやもっと小さい頃からの思い出がぎゅっと詰まっている。

実際は、高校・大学と多くの子供達はまだまだ親のすねをかじり続けるわけだけど、中学の卒業式は「子どもとの決別」だと思う。これからは自分で自分のことを決めていかなければならない。ま、親としての自分にも云い聞かせることだけどね「子離れ」(笑)

従来は代表が受け取り、各クラスでの卒業証書授与となっていたのだが、今年の良山中学校では卒業式の中で全員に一人づつ卒業証書が手渡された。卒業生は227名で多少時間はかかったけど、まあ、これはこれでいいのだろう。

さて、久留米では多くの中学生が受験する公立高校の合格発表は卒業式2日後の3/16。発表会場は、悲喜こもごも・・・
合格の喜びに友人たちとにこやかに話す子もいれば、失敗したのだろう同伴している親に抱きついて号泣する子もいる。たぶん生まれて初めて、15歳にして強烈な洗礼を受けるわけだ。大学受験と違って、中学浪人はごく特殊な場合を除いてほとんどない。受験失敗イコール入学校の変更となる。

心配するな、どうせ人間は一人で生まれてきて一人で死ぬものだ。ハナから孤独な生き物さ。孤独を知ったものだけが本当に人に優しくなれる。コンプレックスの無い奴など大成しない。人間万事塞翁が馬、本当に大切なのはこれから先の出会いであり、そして何処にどんな出会いがあるのかなど誰にもわからないのだ。

中高一貫校にはない非情なシーン。しかし、それはまた大人になっていくために必要な厳粛さを持つのだろう。中学までは自分が住む地域の中で育つ。小さい頃からの友人もいる環境だ。しかし、卒業すれば受験以前に、志望校選択の段階から岐路に立つ。

卒業前に息子の処に遊びに来ていた野球部の連中も、すでに様々な志望校に分かれていた。高校になればおそらくこうやって集まる機会はほとんどなくなるだろう。今の学年はあいかわアンビシャス広場を立ち上げたときの第1期生?だ。息子の友人ならずとも顔見知りの子が多い。・・・みんな元気でな。


今の学校事情は我々の年代の頃と随分違う。どんな学校でも数の多い少ないはあれ、必ず何人かの不登校生を抱え持つ。家庭の事情、学校での成績、友人との不和、教師との軋轢、実に様々なそして自分では訳のわからないプレッシャーに必死で耐えているのかも知れない。

社会が多様化すればするほど、多くの場合ジョーシキが常識として必ずしも当てはまらない。当たり前だが子供達一人一人は皆一様ではないのだ。そんな中、うかつにも「ガンバレ、ファイト」などとは声を掛けられない場合も多い。しかしそれでも、エールを贈りたい。

「大丈夫だ、がんばれ!」と。


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