FORK JAMBOREE 2006

フォークジャンボリー1
う〜む・・このところブログの更新が滞っている。まあ、マイペースでやりますがペースが戻るまでしばらくお待ちを・・

さて、それでは久しぶりにど〜〜んと愉しいライブのお知らせ。70年代に煌めくフォークシンガーがずらり勢揃いのステージだ。え”?知らない?(汗) ぢゃ、ちょっとさわりを・・

んなこたぁ、ないでしょう団塊の世代のみなさん。「いまのキミはピカピカに光ってぇ〜・・あきれかえるほど、素敵ぃ・・」あの宮崎美子の鮮烈なTV-CMデビューの曲。これが斉藤 哲夫

ウチの子供達も後数年は洗礼を受け続けるだろう受験生を唄った中川五郎。「お〜いでみなさん聞いとくれ〜ボクは悲しぃ受験生〜砂を噛むよな味気ない〜ボクの話を聞いとくれぇ・・」知っとるやろ?でも英詩や英書の翻訳家として活躍しているとは私も知らなかった。アホな歌は歌っていてもちゃんと、え〜大学に受験成功していたのね。

それからケメ(佐藤公彦)や丸山圭子と一緒に[ピピ&コット]というバンドを組んでいたよしだよしこ・・・すんません、ケメと丸山圭子は知っているけど、これ、私もあまり覚えてない(汗)

あがた森魚は説明不要か?「お〜とこ〜いち〜ろ〜・・ま〜こと〜とて〜・・」赤色エレジーは強烈なイメージやった。なんというか、タンゴ調というかあのおどろおどろしい調べ・・「エレジー」なるコトバを私はこの時初めて知りました。

三上寛は、もう云うこと無いね。何でこいつがフォークギター担いで唄っとるんや?みたいな、K-1の方がよっぽどしっくり来る感じだけど「ひらく夢などあるじゃなし」なんか、ホント、キョーレツだで。

とにかくこんな5人が集まってやるライブなんて、そうそうお目にかかれるモンじゃない。何とか都合付けて、見に行きましょう。エネルギッシュだった70年代を彷彿とさせる一日になることは間違いない!!


DATE : Friday, May 19th 2006 Open/18:00 Start/18:30
PLACE : 久留米シーガルホテル[久留米市合川町110 TEL.0942-44-5111]
TICKET : reserve 3,500 yen, doors 4,000 yen
PRODUCE : SLOW DOWNで行こう会
INQUIRY : 久留米シーガルホテル TEL.0942-44-5111 [E-MAIL:info@seagulls.co.jp] 090-3326-0891[くにたけ]


久留米シーガルホテル Official Site
[http://seagulls.co.jp]
久留米シーガルホテル MAP
マップ2
livedoorMAP
[福岡県久留米市合川町110]
■ PROFILE :
フォークジャンボリー2 斉藤 哲夫
1950年4月4日生、埼玉県鴻巣市。
東京・大森で大衆食堂を営んでいた両親の一人息子として生まれる。1970年「第2回全日本フォークジャンボリー」出演、以来数多くのシングル・アルバムを発表している。宮崎美子デビューのTV-CM「いまのキミはピカピカに光って」は、その年代の方なら誰でもご存じだろう。現在は東京・町田在住、妻と二人の娘の父親。

DISCOGRAPHY
悩み多き者よ[1970]/されど私の人生[1972]/バイバイグッドバイサラバイ[1973]/グッド・タイム・ミュージック[1974]/さんま焼けたか[1975]/思い出のレター[1976]/Goodnight Mr.Moonlight[1977]/ダンサー[1979]/足音だけのランナー,いまのキミはピカピカに光って,ひょんなことから有頂天[1980]/ぼくはゴルフで悩んでる[1994]/昨日・今日・明日[2001]/君が気がかり[2002]*Singleのみ、他アルバムなど多数。

フォークジャンボリー3 中川 五郎
1949年大阪生まれ。
60年代半ばからアメリカのフォーク・ソングの影響を受けて、曲を作ったり歌ったりし始め、68年に「受験生のブルース」や「主婦のブルース」を発表。
70年代に入ってからは音楽に関する文章や歌詞の対訳などが活動の中心に。90年代に入ってからは小説の執筆やチャールズ・ブコウスキーの小説などさまざまな翻訳も行っている。最近は執筆活動を中心にライヴ活動も再開。26年ぶりのアルバムを2004年春にリリース。

DISCOGRAPHY
中川五郎.六文銭,終り はじまる[1969]/25年目のおっぱい[1976]/また恋をしてしまったぼく[1978]/ぼくが死んでこの世を去る日,また恋をしてしまったぼく(再販)[2004]
PUBLICATION
愛しすぎずにいられない[1992]/誘惑の十六幕[1992,1995]/渋谷公園通り[1999]/ロメオ塾[1999]/フォークは未来をひらく[1969]/裁判長殿、愛って何?[1982]/未来への記憶[1986]/友人のような音楽[2001] 他、チャールズ・ブコウスキー、 ハニフ・クレイシなどの翻訳小説やブルース・スプリングスティーン写真集[1984]/ホールアンドオーツ詩集[1986]/マーク・ボラン詩集[1988]/U2詩集[1988]/ロック・クオーツ(ジョナソン・グリーン)[1978]など翻訳書多数。

フォークジャンボリー4 よしだ よしこ
1954年 3月5日 東京大田区に生まれる
1972年 フォークグループ“ピピ&コット”のメンバーとしてELECレコードよりデビュー。1975年 うたの市をはじめ、吉田拓郎、泉谷しげる、古井戸、海援隊等のアーティストと共に活動。“ピピ&コット”解散後、ソロシンガーとなる。
シングル版『歌のある限り/路地裏の陽気な花』を皮切りに『風』、『二人旅』等をリリース。また、佐藤公彦(ケメ)のサポートギタリストもつとめる。
1976年 単身渡米。アメリカ各地を放浪。帰国後、音楽活動を一斉中止。
1999年 シンガーソングライターとしてのライヴ活動を23年ぶりに再開。同時にギタリストとして、水越けいこ、丸山圭子のサポートメンバーとしてステージをつとめる。 現在、都内のライヴハウスを中心に活動中。

DISCOGRAPHY
捨ててはいけないよ 大切なものを,4人はハーモニー,野菜が食べたい!!,愛をつかまえよう(ピピ&コット)/歌のある限り,路地裏の陽気な花,二人旅,遠まわり,風(よしだ よしこ)
ここから,ア・シ・オ・ト[2006年1月26日発売予定 ]

フォークジャンボリー5 あがた森魚
1948年 留萌市生まれ。
1972年「赤色エレジー」にてデビュー。20世紀の大衆文化を彷彿とさせる幻想的で架空感に満ちた作品世界を音楽、映画を中心に展開している。
デビューアルバム『乙女の儚夢』以降、あがた森魚世界観をはらんだアルバムを発表しながら70年代、80年代を駆け抜けた。87年当時のタンゴ・ブームとも折り合った『バンドネオンの豹』を発表するや、ワールドミュージックへと視野を広げ、90年代初頭には、雷蔵を結成。以降、映画製作や文筆活動等々多岐にわたりつつ、この21世紀の初頭、『佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど』を発表。

DISCOGRAPHY
蓄音盤[1970],乙女の儚夢[1972],噫無情[1973],僕は天使ぢゃないよ[1975],日本少年[1976],君のことすきなんだ[1977],少年洋菓 永遠の遠国[1978]・・・20世紀漂流記「2001」,佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど[2001],オー・ド・ヴィ[2003],星繁き牢獄の提督たちへ[2004],ギネオベルデ(青いバナナ)[2004]他

フォークジャンボリー6 三上 寛
1950年 青森県小泊村生まれ。警察学校中退後、上京。
1971年 中津川フォークジャンボリーに出演、一躍脚光を浴びる。
怒号のような荒々しさや、ささやくような穏やかさを持つうたごえと、きわどい表現の歌詞から怨歌フォークとも言われていた。表現のなかには、放送禁止用語も多く見られるが、つボイノリオなどの不純なコミックソング的使用とは異なり、人間の悲しみ、恨み、哲学、物語のダダイスム的表現と破壊の一環としてのものである。 ピストル魔の少年・永山則夫と同級生でもあった。 1990年代から、灰野敬二、吉沢元治らと、サウンド面のアナーキーな破壊も画策し始めている。
2000年3月には、音楽活動30周年記念 13枚組CD BOX 「三上寛ボックス」 をPSFレコードからリリース。
2000年11月には自叙伝「三上寛 怨歌に生きる」を彩流社より刊行。

DISCOGRAPHY
三上寛の世界[1971],ひらく夢などあるじゃなし[1972],零孤徒[1972年],BANG![1974],負けるときもあるだろう[1978],このレコードを盗め!![1982],平成元年ライヴ(上・下)[1989]他


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