街路のナンジャモンジャも芽吹いてきた3月26日、息子の上京日。引越手伝いのカミサンとともに朝早く出発した。カミサンは今月いっぱい滞在予定。こっちは1週間の一人暮らし(苦笑)

会社から紹介してもらった物件はだいたい何処も同じようなワンルーム。実際に入居してみると超狭いらしい。ま、横浜市内じゃ当然やろ。だが会社へのアクセスはいいようだ。あと1年大学院に通う娘のほうは八王子のアパートなんだが、初めて行ってみた息子曰く「広か〜・・、オレ絶対稼げるようになる!」

地元就職を希望していた息子だが、希望は叶わず、遠くへ行くことになった。しかし、良かったんじゃないかなと思っている。男やからね。自分の人生は自分で切り開いていくものさ。

苦労していた就活中、カミサンからも「何かコネ、ないと?」とやんわり聞かれもしたが、一切手伝わなかった。年末土壇場で決めてきた横浜の会社はよりによってコンピューター関連事業の会社。ITに長けている娘と違って、息子は理学部応用数学科在籍にも関わらず、まったく興味を示さなかった分野(爆)

大学時代のアパートを引き払った後、しばらく一緒にいたものの、結局ほとんど何も教えなかった。息子が行った後、もっといろいろと教えておけばよかったかも?と思いもしたが、わたしのITやネットワークの知識も経験も所詮は独学のものだ。ま、自分で頑張ってくれ。

わたしが社会に出たのは18歳の時だった。それまで料理に別段興味もなく包丁など持ったこともなかったし、市場など覗いたこともなかったのに板場の世界へ。その後出会った多くの後輩たちはほとんどが調理師学校出身だったが、彼らを見ていて思ったことは「必要条件ではない」

何も知らないことは結局の処、大したハンデにはならない。しかし、自ら学ばない奴は置いて行かれる。真綿に水がしみこむように、吸収できる者、そしてホンの少しの努力を続けることが出来る者だけが伸びてくる。仕事ちゃ、そんなもん。

もちろん職人の世界とは違うが、わたしが出会った中にはとてもこの人には追いつけない、と思わざるを得ない凄い板前さんがごろごろしていた。生き方だって様々だった。

今はただ、彼に多くの佳き出会いがあることを祈っている。



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