柿原聰先生

8月末、故柿原聰先生の回顧展と実行委員会による偲ぶ会が開催された。回顧展で展示された数百点の作品を見て、まずそのボリュウムに圧倒された。こんなにたくさんの作品を残されたもんだ。同時に大半が個人所有だというこれらの作品を集めた、奥様はじめ実行委員会の努力にも脱帽です。

先生との最初の出会いは、久留米高校時代。1,2年の時の美術教諭が先生だった。3年の時には明善へ転勤され、後任には高倉先生が赴任、久高での最後の教え子ということになった・・・というと格好は良いが、当時のわたしは美術では劣等生で、ろくに作品を出した記憶がない。

授業をさぼっては居なかったが、校外スケッチの時にはラーメン屋に行ったり・・あ、さぼってるか(爆)

そんなわたしにも先生は温情で?通知表に確か「3」をくれていた。・・だから良い先生と云ってるワケぢゃないが。

高校の時の芸術選択で美術を選んだのは、もともと漫画を描いていたからと云うのがおおきかったのだが、当時は美術と漫画は違うと思っていた。音楽や書道よりは漫画に近いと思っていたけどね。

美術は高尚なモノで、漫画は世俗な下卑たモノだと思っていたし。社会的にもそういう風潮だった。現代のように漫画が世界的にも日本の文化として脚光を浴びるなんて事は想像だにしなかった。

漫画を描いていて叱られこそすれ誉められたことなど一度もなかった。漫画家とはヤクザなシゴトだったんだ。友人たちからは一目置かれていたし、実際、自分よりも漫画が上手い奴は少なくともこの辺りには居ないとさえ思っていた。

高尚な美術と世俗な漫画の違いは簡単だ。美術には輪郭線がなく、色彩や濃淡でモノを表現する。輪郭線を使うのはデッサンの時だけだ。対して輪郭線だけで表現するのが基本的には漫画の世界。

そう思っていた。

その後、にわかに浮世絵がブームになったことがあり、世界的に評価が高いらしいと知る。かのゴッホなど著名な画家たちにも多くの影響を与えたとか。・・なんだと〜?

浮世絵の手法はわたし的には漫画だ。まず、輪郭によって基本的な表現がされる。 なんだ、漫画じゃんってなもんで、めんどくさいことを云う輩はいるだろうけど、浮世絵は世俗的な漫画だとわたしは思っている。なんせ「浮き世」の「絵」だからね。高尚な美術とは違うんだ。

・・・そう思っていたわたしは浮世絵ブームには少々混乱した。美術に携わる絵描きが何故輪郭線を残す?そんなのは美術ではない。輪郭線とは現実世界には存在しないモノだ。これは何もわたしだけの感覚ではなかったと思う。当時の美術家はみんなそう思っていたはず。漫画は絶対に下に見下されていた。

輪郭線だけで表現する漫画は、美術的にはいわば下絵の一人歩きみたいなもんさ。デフォルメして形を認識させるためのモノ。

・・・何の話を書こうと思っていたのか分からなくなってきたので、この辺で中断するが、そんなわけで美術専攻ながら美術そのものにはあまり興味もなく、従って失礼ながら画家、柿原先生の作品もあまり覚えていない。

でも優しい先生だった。当時流行っていたRCサクセションの「僕の好きな先生」それがわたしの先生像だった。

♪タバコ〜吸いながら〜困ったような顔をして〜僕の好きな先生〜
後年はタバコは止められていたが・・先生、困らせてごめんね。

偲ぶ会では、先生の昔の写真やVTRを使って、映像作品をひとつ作らせていただきました。ご家族や実行委員会の方々に少しは楽しんでいただけたようです。

先生、遅くなったけど40年ぶりに作品を提出したからね。「4」くらいはもらえるかな(笑)


過去記事:故柿原先生 宅 [kurumejin.jp/51374410]
過去記事:故柿原先生 宅(2) 山川町のアトリエ [kurumejin.jp/archives/51376050]


Clip to Evernote mixiチェック