15日、老朽化のため住む者が居なくなった母のふるさと、星野村の家がいよいよ取り壊されると聞いて、最後にこの目に焼き付けておきたいと出かけて行った。

人が居なくなり、既に老朽化して雑草も生い茂る本家の家は痛々しく、写真は残酷でここには載せれない。記憶の中にこそ、光り輝いているふるさとの原風景があり、それでいいのだ。子どもの頃、夏、春、冬休みのたびに訪れ、何物にも代え難い楽しい時をおくった日々。

久留米から休みのたびに訪れるわたしには、わくわくするばかりの思い出だが、そこで生活する者にとってはまた違う厳しさが厳然とあり、思いは必ずしも同じではない。田舎暮らしは多くの都会人のあこがれではあるのだが、一種、無い物ねだりにしか過ぎないのだ。

ここは「九重ノ花」という星野村でも最も奥深いところにある。以前は路線バスの終着駅の一つ手前だった。今はここに通じる唯一の県道も全面舗装されているが、子どもの頃はがたがた道だった。それが、本家の前後数百メートルだけは舗装されていた。祖父が舗装したと聞いていた。

県道を個人の財力で舗装できたのが不思議だが、祖父はそれほど成功した分限者だったのは間違いない。林業が盛んだった昭和初期、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで隆盛を誇った。また、鯛生金山などゴールドラッシュの風にも乗り、酒屋をはじめ手広く商売を手がけた祖父の成功に対する尊敬と威厳は、たまに遊びに行く孫のわたしにもよく伝わった。

田舎では裕福に暮らせていたはずだが、本家の従兄弟たち4人はその後福岡市に住み、高校以後は福岡での暮らしになっていく。本人たちというより、家族での結論だったのだ。既にその頃、子どもたちの人生設計がここでは成り立たないと判断されたということだ。

この日、ここに集まったのは11人の孫のうち本家の3人とわたしだけだった。その本家の従兄弟の一人がかって「どうにかして田舎を出たかった。出れるなら何でもすると思っていた」と宣っていた。もちろん、全員が同じ気持ちではなかったにせよ、年頃の子どもにはいいことばかりでなかっただろう田舎の暮らしは容易に想像がつく。

ニッポンの田舎はどんどん疲弊していく。都会への人口流出はいっこうに止まらない。久留米の人口は今のところ横ばいだが、九州なら福岡市への一極集中だ。経済的な事由だけではなく、都会のチャラさとは違う魅力の創出、文化の創出を本当に考えなければ、この流れがとどまることはないだろうな。

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星野村の入り口近くの蕎麦屋。この日は娘とカミサン、3人だったので「箱蕎麦」とそばがきを頼む。久々にうまい蕎麦を喰った。最初に頼んだ箱蕎麦:3人前に、つい+2人前(苦笑)

ここの蕎麦は長野から直送の蕎麦粉、ご主人も長野で修行されたとか。ここで再現された「幻の蕎麦:富倉そば」は、つなぎに「オヤマボクチ」を使う、いわゆる十割蕎麦。独特の喉越しと、九州風なツユがよく馴染んでいる。そばがきも美味かった。

うざい食レポは置いといて、ずいぶん以前、最初に寄った時、とてもかわいらしい子どもが居たので、蕎麦の味はもちろん、カミサンもそのことを印象的に覚えていた。もうずいぶん大きくなっているだろうなと聞くと「え〜?誰かなぁ。そのあともたくさん産まれたので」と屈託なく受け答えするお店の人はとても明るい。

奥深い星野村の電線にも既に光ファイバーのケーブルが見える。オレならここでクロコダイルダンディな暮らしが出来ないことはないな。



過去記事:弔辞 [July 21 2014] [kurumejin.jp/51555879]

そば処 な佳しま [星野村916-1 phone:0943-52-3055]


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