9月16,17日、えーるピア 久留米でくるめ市民劇団「ほとめき倶楽部」の第8回本公演「イーハトーボの劇列車」が上演された。創設9年目のほとめき倶楽部だが、昨年は久留米シティプラザの演劇祭への参加のため、劇団独自の本公演としては8回目。

ほとめき倶楽部は平成21年、旧久留米市民会館の自主事業の一つとして旗揚げした久留米初の市民劇団だ。老若男女、誰でも参加出来る劇団として、上は70代から高校生まで、そして在野のアマチュア劇団からも参加と協力を得、文字通り多彩な顔ぶれでスタートした。

だが団員の願いも虚しく、久留米シティプラザの創設に伴い、市民会館の閉鎖とともにこの劇団はその足場をなくした。「市民劇団」を標榜し続けているが、日々の稽古場を探し、個人宅などに道具を預け、苦労しながら活動を続けており、今やその活動基盤は一般のアマチュア劇団と何ら変わりはない。

新しい久留米シティプラザでは「くるめ演劇塾」という事業が自主運営されている。演劇の面白さを伝え、演劇文化を根付かせるため?年齢制限なしに、誰でも参加出来ると、門戸を開いている。昨年は延べ120人程度が参加したらしい。「プラ座コース」による発表公演も行われた。結構なことだ。

しかし、どうやら市民劇団的な発想はここにはないらしい。この中から、たとえば新しいアマチュア劇団が誕生することなどあるのだろうか。

劇団を旗揚げするというのは、並大抵のエネルギーでは出来ない。仲間を募り、稽古場を確保し、ホン(脚本)を書き、あるいは選び、道具をつくり、公演を目指せば、会場を確保し、いくばくかの資金を調達し、フライヤー、チケットをつくり、これを手売りして行かなければならない。演じることが好きだから、だけではとても出来ない。

だがしかし、そういうありとあらゆるハードルを無視してでも「何かを創りたい」「表現出来る場を持ちたい」という強烈なインセンティブがあって初めて旗揚げへと漕ぎ着ける。こんな無謀な思いつきを実行出来るのは、後先考えない若者の特権とも云えるが、それでも「バカ」がつく希有な存在でなければならない。

立ち上げの経緯は様々だが、そうやって旗揚げしたアマチュア劇団が、久留米にもいくつか存在する。しかし、演じること以外の膨大な作業をこなすと、その先にはたぶん、喝采を受け、感動するという舞台本来の楽しみの他に想像出来なかった充実感が待っているものだ。それは仲間とのふれあいであったり、多くの人との出会いであったりするが、何かをやり遂げるという、たぐいまれな達成感なのだ。

他の何ものにも代え難い楽しさをそこに見いだしたからこそ、そういう活動を続けるのだ。そして、ぐったりと疲れ果て、また「次は何をやろうか」とふつふつとたくらみを思いつく。そんな思いつきを実行しようとする行動力ある輩こそ、地元に必要な人材、応援すべき人材ではないだろうか。

・・ハナシが芝居からそれそうになるな(苦笑) 演劇に興味を持つ新人の発掘も大切だ。久留米シティプラザの「くるめ演劇塾」から、将来、中央で活躍する人材が出るようになれば確かに素晴らしい。が、地元にとどまり、生活の一部として演劇との関わりを続けていく、そんなアマチュア演劇人を有機的に結びつけ、サポートするという視点がない。

文化とは、所詮「あそび」だ。誰にも邪魔されずにその世界に没頭出来る、夢中になれるからこそ「あそび」は面白い。最近「恊働」という言葉を良く耳にするが「久留米って面白い、楽しい」と云わせる気があるなら、森よりも木を選んで育てることも大切。「活力」は面白さの中にこそ存在する。

そして文化はその集大成として評価を受けるものだ。スクラップ&ビルドも時には必要だが、毎回毎回切り捨てていては、とても文化の創出はおぼつかない。活かし続けてこそ文化は育つものだと思うし、飽きない「面白さ」が、きっと「商い」に結びつく。

・・・やっぱりハナシが脱線しそうなのでこの辺で終わっときます。



久留米の演劇情報誌 [actorscafe.jp]




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