*slide show, PC-mode only *スライドはPCモードオンリーです。悪しからず。
東京で過ごしたお正月日記。
書いていたらやたらとダラダラした文章になったので、とりあえず箇条書き(苦笑)
 12月30日
○夜、羽田入り
 12月31日
○總持寺
○浅草
○もんじゃ焼き
○築地場外市場
○銀座
○年越し蕎麦
 1月1日
○お正月料理
 1月2日
○箱根駅伝見物
東大 ITヘルスケア社会連携講座

おかげさまで、いいお正月でした。

↓おヒマな方はどうぞお付き合いください。




10月に二人目の孫が生まれ、いきなり長旅というわけにもいかないので、今年のお正月は息子夫婦の住む横浜へ行く。同じく昨年新たに購入した新居見学も兼ねて。

東京へ行くのは約10年ぶり。どこといって行ってみたいところがあるわけではなく、スカイツリーにも興味はない。まあこの先、そうそう行く事もないだろうと、浅草、築地、そして妹が在職している東大へ行ってみようとざっとしたプランで上京。大学時代、そして前職の関係で都内の路線を熟知している娘が心強いナビゲーターを務めてくれた。


出かけたのは12月30日。この日の仕事を終えてのフライトだったので、羽田に着く頃はすっかり暗くなっていたが、おかげで夜の東京という素晴らしい夜景を見ることができた。大都会の広大な夜景は、最近流行りの湾岸に広がる工場や倉庫群の輝き、それに海に点在する大型船舶のライトを真下に見ながらの羽田入り。

旅行といえば、一般的には朝から行くことが多いだろうだが、いやあ、羽田は夜に行った方が絶対、良い。この壮大な眺めはどんなイルミネーションよりも素晴らしい。


翌31日、浅草などの観光地はただでさえ人が多いだろうと、新年を迎える前に行くことにしたが、その前に永平寺と並ぶ曹洞宗の総本山、總持寺を朝から散策した。息子の家がある横浜鶴見駅のすぐそば。この辺りはもちろん地代もかなりのもんだが、總持寺はその鶴見のど真ん中に広大な敷地を構えている。節分には石原軍団が毎年豆まきに来るというが、いやあ、その壮大な伽藍には、ちょっと驚いた。来年は福井の永平寺にも行ってみるかな。

浅草は年末でもやはりかなりの人出だったが、新年のために用意されている案内板を見ると三ヶ日には、脇道からの出入りも制限される様子。この日に訪れて正解だったみたい。仲見世通りを抜けて浅草寺まで行ったのち、娘がもんじゃ焼きの店へ案内してくれた。有名なお店らしく待つのも覚悟はしていたが、ちょっと早めの時間だったからか、ラッキーなことにすぐに入店。ほぼ生まれて初めてのもんじゃ体験。美味かった。

その後、すでに市場は移転しているが、築地の場外市場へ。昼時だったので、その中の空いてるお店へ。河岸近くのお店は、博多の長浜も同じだが店舗はざっとしたもん。しかし、魚は確かにうまいね。醤油の違いもあまり気にはならなかった。息子の食欲は相変わらずで、二人分の海鮮丼をぺろり、食っていた。

外に人だかりができているなと思ったら「寿司ざんまい」の社長がいて、盛んにパフォーマンスしている様子だった。

この日は、その後銀座をちょっとだけ散策し、夜には息子宅で出前の蕎麦を食ってホテルへ。洒落た気になるバーもいくつか見かけたが、年末年始でどこもお休みの様子。ま、仕方ないね。


あけましておめでとうございます。

元日は息子宅で同じ横浜在住の妹とも合流してのお正月。こちらから持ちこんだ食材、いつもの筑前煮と数の子、練り物、薫製など。あとは出前の寿司、お取り寄せの蟹やおせちなど。お雑煮に角餅は好まないので、餅もこちらから持ちこみ。とまあ、結構豪勢なお正月になった。

かつては、徹夜でおせちや鉢盛、活き造り、寿司などを作っていた「かもめ亭」時代が懐かしい。もう、あんなには仕事できないだろう。凍てつくお正月の深夜、指が切れそうに冷たい水で大量の魚を捌き、かじかんで動かない手指を湯に漬けて何時間も立ちっぱなしで寿司を握る。毎日、ひと仕事終わると手は老人のようにシワシワで真っ白。握りすぎて、指はにわかにまっすぐには伸びやしない。

その開かない手で包丁をハンドルに持ち替えて、捌き切れない大量の出前にも出る。ちょっとでも段取りが狂うと客から矢のような催促。「まだですか?」「今、出ました」

今はこうやって届けてもらった物を戴く側。正月早々、届けてくれる誰かに感謝するよ。三波春夫が「お客様は神様です」と言い放って以来、金を払う方が偉いかのように勘違いする輩が増えた気がする。「神様です」とは提供する側の心構えであって、金さえ払えばカミサマになるわけではない。

ありがたく箸を進めつつ、そんな時代を振り返る・・・これだけでも十分、年寄りだな(爆)


正月2日。箱根駅伝初日往路だが、息子宅のすぐ近くを通るということで、朝から応援に。・・歩いて向かっていたら、何とトップグループは目の前をあっという間に通り過ぎていき、旗を振る暇もない(汗)。どうにか後半の数チームには間に合う。

この時点で1区で転んでしまった大東文化大が気になっていたが、すぐそばで警備をしていたお巡りさんが「タスキ、繋がったみたいですよ」と教えてくれた。沿道を埋め尽くす観客は結構な人数。TVの影響もあるだろうが、もうすっかりお正月の風物詩なんだな。子供の頃、久留米のウチの近くを走る九州一周駅伝を応援しに行っていたのを思い出した。

この日も観光地は避けて、妹の職場を見学に行く。赤門前で待ち合わせて、学内へ。実は日本じゃ、東大だけでなく結構出入り自由らしい。観光客も来るし、近所にお住いの方にとっては、都会ではなかなか得られない、自然豊かな散歩コースにもなっているとか。

とはいえ、お正月早々で人は少ない。学生も、来るのは実験用のモルモットなど小動物に餌をやりに来る者がいるくらい。広い構内を進み、妹が在籍する薬学系研究科棟へ。古い学舎が多い中、ここは結構真新しい。妹にIDで開けてもらって、研究室へ。

308 ITヘルスケア社会連携講座」とある。何度か説明も聞いたが、一体何の研究をする講座なのか、漠然としかわからん(苦笑) 教授室といえば、壁いっぱいの蔵書、山積みの資料、重厚なデスク・・などを想像するのだが、まあ見事にここには何もない :-)

壁にはキャビネットが一つあるだけで、真新しいモダンなデスクには電話が一つのみ。日常使っているだろう、ブラックジャックのマグカップだけが目立つ。まあ、妹らしいと云えばそうなんだけど、この講座には秘書さんと、他に数名の研究員、大学院生が数名いるらしく、別に3部屋ほどあったが、どこもさっぱりとしていて、別室の秘書さんのデスクの方が色々とモノが多い。

認知症で久留米の特養にいる母が、もっと元気だったら、たいそう喜んだろうな。

学内の三四郎池を回って、安田講堂へ。さすがにここは正月で閉じていたが、学生運動の名残りだろう、正面の石壁は結構ぼろぼろだった。あの頃の血気盛んだった学生闘士は今やみんな結構な年寄りになっちまった。

ヘルメットとゲバ棒では何も変えられなかったし、方法は間違っていたのだが、おかしいことはおかしいとはっきり云い、誰もがそんな世の中を変えたいと、真剣に思っていたはず。少年の心を持ち続け...みたいなセリフは巷ではよく耳にするが、本当に持ち続けているのは一体何人いるのだろう。まだまだこれからさ、きっと。


この日も含めて、東京にいる4日間、幸いにしていいお天気に恵まれた。抜けるような青空がこの東大のシンボルを包み込んでいる。静かで穏やかな日。

無縁坂を抜けて、不忍池に出たところで昼食。ここで妹と別れて、羽田へ。翼下に富士を眺めながら帰路についた。おかげさまでいいお正月を過ごさせていただきました。



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