大龍区画整理事業の推進に伴い、花畑のラーメン店「大龍花畑本店」が1月15日で閉店する。新店舗は新装工事中の西鉄花畑駅高架下に出来るそうだが4月の予定らしい。時の流れとはいえ、この小さな店が無くなるかと思うと感無量だ。

ここの大龍には高校時代とても御世話になった。当時は絶対に日本一旨い豚骨ラーメンだと思っていた。それこそ毎日のように通ったものだ。

気のいい親父さんで、大盛ラーメンのお品書きの横にマジックで「麺の量サービスします」と書いてあった。「おっちゃん、超大盛りね!それと大飯」と毎回決まり文句のように注文していたものだ。

後日親父さんに話を聞く機会があり当時の話をすると「あんた達が来よった時は、麺を3玉分入れて作りよった(*筑後弁:来ていた・作っていた)」らしい。俗に富士山ラーメンと呼んでいたが、確かに大盛り用の大きな丼に、麺が中央の部分でスープから盛り上がっていた。

久留米会議所 [いちおし情報]
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大龍2腹減り小僧だったその当時はこれでも足らず、替え麺を2〜3杯必ず喰っていた。別に大食い大会に出るつもりはないが、友達と競って食べていたその当時の私の記録は「超大盛り+替え麺6杯+大飯2杯」というものだ。おそらく、大龍の長い歴史の中でこれ以上喰った奴は居ないと思う。もしいらっしゃれば、ぜひお会いしたい。まあ非公式記録と云うことで(苦笑)

最初に大龍ラーメンを喰ったのは出前だった。オープン当初は出前もしてくれていたんだ。高校の生徒会の仕事で、深夜ガリ版刷りをしていたときに先生が出前を取ってくれた。もちろん、出前のラーメンだから、いくら堅麺(かためん)で仕上げたところで当然麺はのびのびだ。しかし、旨かったなぁ。

花畑のラーメン店は、大龍の他に「とん吉」という店があって、こちらの方が歴史は古かった。もう既にありませんけど。中学時代はそんなにラーメンを喰っていたわけではないが、喰うときはほとんどがこの「とん吉」だった。知る人ゾ知る名店だった。それが、高校に入ってからは大龍一辺倒。

気のいい親父さん(初代:黒岩さん)は一昨年の冬に亡くなられた。店はそれ以前から代替わりして娘婿さんが多数の店舗を展開しているが、その当時は親父さんと奥さんの二人でこの小さな店を切り盛りしていた。豚骨ラーメンも今やすっかり全国区の扱いとなり、久留米は豚骨ラーメンの発祥の地として多くの店舗が店を構えている。

ラーメンフェスティバルが行われ、ラーメン探検隊も編成され、あそこの店の味がどうの、こっちの店はどうのとラーメン談義がかまびすしい。結構なことだが、どの店も時代に合わせて味を変化させている。それは当然のことだ。

昔と味が変わった・変わらないなどとは、良く聞く言葉だが、私がおよそラーメンを食べ始めてからでも35年は経つ。朝から晩まで部活だ生徒会だとフルに身体を動かしていた若い頃とは、こちらの味覚も決して同じではない。少なくとも感じる塩分の量は決定的に違うはずだ。

ラーメンやうどん、蕎麦など単一メニューを売り物にして長い間味(客にとっての味)を保っていくのは並大抵のことではない。素材ですら同じ物が同じ状態で手にはいるわけではない。客の味覚も微妙だが変化していく。そんなこんなにほんの僅かずつ対応して、味に工夫を凝らしていかなければならない。急な変化は顧客にすぐばれる。

何処のラーメンが旨いとかまずいとか、ここで話してもしようがない。しかし、あの親父さんの気のいい笑顔と凝縮された味を忘れることは決してないだろう。


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