traverse17 石橋文化ホール開館以来、本業の医業の傍ら永きにわたって指揮を執り続けた合唱団活動に留まらず、数々の音楽会の開催、小中学校校歌の作詞作曲など、本間四郎氏が久留米の音楽文化創生に捧げた功績は計り知れない。

本稿のテーマである文化人の軌跡からは、少し脇道にそれるが、こよなく音楽を愛し続けた本間四郎氏が、医療の研究として取り組んだ「音楽療法」について、少し触れておきたい。

昭和35年、四郎氏はアメリカから帰国したばかりの稲永助教授から、当時既にアメリカで行われていた音楽療法を伝え聞き、早速医療手段のひとつとして取り組みを始めた。

昭和39年11月9日、三池炭鉱三川鉱で巨大な粉塵爆発事故発生。死者458人、一酸化炭素中毒者は839人を数える大災害になる。

医療チームの一員として現場に駆けつけた四郎氏は、一酸化炭素中毒による脳機能障害で、肉親の顔も分からず、戻らぬ記憶に悩む多くの患者を前に、足踏みオルガンで初めて音楽療法を試みた。

病状と組合同志の軋轢で殺伐とした病室だったが、集まった患者たちは希望の曲には明るく歌い、徐々に和やかな時間を取り戻していった。四郎氏はこの時、音楽療法の力を確信する。

小郡にある本間病院は、子どもからお年寄りまで病状に応じて音楽療法を取り入れている。

音楽が人の心に与える力を誰よりも熟知していた本間四郎氏。その遺志は文化のまほろばで、医療の現場で、今も脈々と受け継がれている。



タイトル解説☆
TRAVERSE【トラバース】登山で縦走路にある山の頂上へ向かわず山腹を横ぎること。

画像について☆
本間四郎氏自筆の論文草稿「音楽の精神生理的研究:久留米大学医学部精神神経科学教室/主任 王丸 勇教授」


カルキャッチくるめ
[http://www.culcatch.jp/]
※この連載はカルキャッチくるめ通信(August-September 2007)への掲載記事です。


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