
「タボット君」は、1966年、福岡市大濠公演で開催された福岡大博覧会で子どもたちの人気を集めていたタイヤロボット。ブリヂストンタイヤにより同年8月には石橋文化センターに登場、ニックネームの公募が行われ「タボット君」となった。
現在、石橋文化センター文化情報センターに置いてあるものは、昨年開園50周年を記念して作られた二代目?だが、公演ではこれを模して作られる着ぐるみのタボット君が登場、子どもたちとの歌ややり取りの中で物語が進行していく。
実は特注でこれを制作中なのだが、まだ完成していない。どんな「タボット君」が登場するのか、興味津々だな(笑)
▼ くるめ市民劇「石橋正二郎物語」:OUT LINE

体は弱くても勉強は優秀だった幼少期の石橋正二郎。先生にも勧められ神戸高等学校への進学を目指すが、実家「志まや」の後を継ぐために進学を断念する。
兄・重太郎とともに家業を継いだ正二郎は、仕立物屋から足袋専門店への転換、均一料金の導入、当時は家1軒が買えるような高値だった自動車での宣伝・販売など次々にアイデアを繰り出し、とうとう「志まや足袋」は日本でトップクラスのシェアを持つ店へと成長する。
さらに、ゴム底をつけた「地下足袋」の製造に着手、時代の要請に合った地下足袋は全国で飛ぶように売れ続け、時代を席巻する商品となる。
その後地下足袋屋から、そのころ全てが輸入品だった自動車タイヤの国産へと、悪戦苦闘しながらも乗りだし、現在のブリヂストンの礎を築いていく。
戦後、荒廃したふるさと久留米を見た正二郎は、石橋文化センターの建設に着手。体育館・美術館等を併設、市民がスポーツや文化に親しむ環境を創り出していく。また、当時遊泳禁止だった筑後川を懸念し、市内の全ての小中学校にプールを建設・寄贈、さらに水泳指導者の育成にも乗り出していく。
幼少期から正義感が強く、人のためになることをしたいという一念を通し続けた石橋正二郎氏の生い立ちを通して、次代を担う子どもたちへ彼の夢や精神を伝えていく。
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