春を呼ぶまつり 久留米の町中に春を呼ぶまつり「宝恵まつり」の季節が近づいてきた。今年も可愛い稚児さんを駕篭に乗せ「ほ〜え、ほ〜え・・」と街を練り歩く。

ここのところ、中心市街地の再開発の話題で地元はかまびすしい。百数十億の合併特例債をつぎ込んで井筒屋跡地に総合プラザの計画がぶち上がっている。さらに、隣接する六角堂広場も一旦閉鎖して、この辺り一帯をまとめてつくりなおすという計画のようだ。

六角堂広場が出来てまだ7年目。ケタは違うがそれでも結構な資金を投じての建設だったが、短い寿命になるのだろうか。もともとイベントホールではなくイベント広場だったわけで、青空天井であるが故に様々な主催者側からすれば中途半端との意見はあったものの、あの時と、今とで何がどう変わったのだろう。

地元商店街はそれなりに頑張っていたことは事実だが、そのままで10年20年後に展望が開けていたわけではない。

先般から、都心部の駐車場利用の動向調査のため、駐車場無料開放の実験も行われていたがあまりの反響のなさに2度目の社会実験は中止になった。これを受けて駐車場だけが原因ではないとの話もあるが、わたし的にはちょいとそれは危険な考えだと思う。駐車場だけが原因ではないのは実験するまでもなくわかっているが、久留米と福岡は違う。

公共交通機関が充実している都市圏と同じ目線で考えていては、先は暗い。先の駐車場などは都心部に点在している駐車場が有機的に活用されていないことが最も大きなマイナス要因だと思う。

予定されている総合プラザ内の大ホールでイベントをするにしても、客が渋滞を嫌ってクルマを使わないことはあっても、主催者がクルマで来るなとは云えない。

都市のグランドデザインを描くことはとても難しい。市民の意見に耳を傾けることは必要でも、それだけでは駄目だし、政治や経済的力学だけでは決して描けない。人を見ることが最も大事なんだと思う。誰に使って欲しいのか、来て欲しいのか、それは半径何キロの世界なのか。住民か、観光客なのか。

先日、福岡へ行く用事があり、久しぶりに柳橋の連合市場を歩いてみた。博多で仕事をしていた頃以来だから、30年ぶりか。そこには昔と相も変わらぬ個人商店が立ち並び、活況があった。

「この辺りは何年か前、火事がありましたよね?」
「う〜ん・・、時々燃えよるけんねぇ(笑)」

実に逞しい。営々と続く昔ながらの商売が大都市の真ん中で今も続いているということが、街の実力と云えるのじゃないだろうか。私の親戚は薬院大通りの真ん中で、今もちいさな「金物屋」を営んでいる。現役の監督時代にはソフトバンクの王監督もときどき買い物に来ていたらしい。何を買っていったのかは聞いてないけどね。

九州新幹線開通にあわせて再開発されている博多駅には、東急ハンズが来るらしい。東京でしかお目に掛かったことはないが、これは私も楽しみだ。キャナルシティもでかくなるとか。それでも個人商店がなくならない強さ。それが街の力の源に違いない。

翻って、久留米で計画されている六ツ門の開発だが、博多の亜流ではだめだし、所詮箱は箱だ。多少意味合いは違うが、かって石橋文化ホール創世記の頃、久留米を音楽の街にと激論を戦わせていた「寝ころび会」のように、箱をどう使い、人を育てる文化を根付かせるのかが一番大事なんだと思う。

久留米はメジャーで活躍する人を結構排出するが、人を育てない。文化は仕掛けて、育てていくものだ。文化とは人なり。


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