・大学生編Archie

3月の日記 その6:学位記

学位記

卒業おめでとう。3年前の大学の卒業式は震災のあおりを受けて中止。自宅あてに卒業証書だけが郵送されてくるという、そっけのないものだった。それでも大学院へと進んだ娘はこうやってちゃんと式典に出席することが出来たぶん、まだ幸せか。4年制で卒業した友人たちの中には既に連絡も取れなくなっている者もいるらしいし。

思えば福岡の大学へ行った息子と違って、東京に行った娘には入学式にも行ってやれなかった。今回はカミサンがちゃんと出席。3年前、卒業式にと義姉が作ってくれたリボンを今度はちゃんとつけて無事卒業。

このブログを書き始めたのは9年前、2005年の3月。娘が高校1年の時からだ。地域情報を発信しようという意図もあったんだが、一方で家族の日記、子育ての日記にもなっている。子どもたちにとっても家族にとっても色々なことがあった濃厚な9年間。

娘には自分自身が望むべき夢に向かうため、高いハードルに挑むようけしかけもした。結果、志望校のひとつを落とすという失敗もあった。突発性難聴による休学も経験した。他の学生同様、就活にも苦労していた。

しかし、幸運なことに4月からの就職先は専攻していたメディアサイエンスに関連した映像系の会社になった。

いろんな幸運な偶然が重なったとも云えるが、目標を見据えていたからでもあるのだ。これから先もきっといろんなことが待ち受けているだろう。必ずしも思うようにはいかないかも知れぬ。何か餞をと思ったが、今日はアインシュタインの言葉のひとつを贈ろう。

学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているもの、それこそ教育だ。そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること、それが教育の目的といえよう。机上の知識だけではなく、学校生活、教師・友人とのコミュニケーション、教材、その他いろいろな生活環境の中で身についたものが学校教育の本質であり目的だ。[Albert Einstein]

一足先に社会人になり、残業が続くとは云いながらそれでも楽しく仕事をやっているらしい息子。娘もこれで学校生活は終わりだが、学ぶべきことはこれからもずっと続く。

あなたたちの幸運を祈ります。

平成26年3月20日  

Take Off !



街路のナンジャモンジャも芽吹いてきた3月26日、息子の上京日。引越手伝いのカミサンとともに朝早く出発した。カミサンは今月いっぱい滞在予定。こっちは1週間の一人暮らし(苦笑)

会社から紹介してもらった物件はだいたい何処も同じようなワンルーム。実際に入居してみると超狭いらしい。ま、横浜市内じゃ当然やろ。だが会社へのアクセスはいいようだ。あと1年大学院に通う娘のほうは八王子のアパートなんだが、初めて行ってみた息子曰く「広か〜・・、オレ絶対稼げるようになる!」

地元就職を希望していた息子だが、希望は叶わず、遠くへ行くことになった。しかし、良かったんじゃないかなと思っている。男やからね。自分の人生は自分で切り開いていくものさ。

苦労していた就活中、カミサンからも「何かコネ、ないと?」とやんわり聞かれもしたが、一切手伝わなかった。年末土壇場で決めてきた横浜の会社はよりによってコンピューター関連事業の会社。ITに長けている娘と違って、息子は理学部応用数学科在籍にも関わらず、まったく興味を示さなかった分野(爆)

大学時代のアパートを引き払った後、しばらく一緒にいたものの、結局ほとんど何も教えなかった。息子が行った後、もっといろいろと教えておけばよかったかも?と思いもしたが、わたしのITやネットワークの知識も経験も所詮は独学のものだ。ま、自分で頑張ってくれ。

わたしが社会に出たのは18歳の時だった。それまで料理に別段興味もなく包丁など持ったこともなかったし、市場など覗いたこともなかったのに板場の世界へ。その後出会った多くの後輩たちはほとんどが調理師学校出身だったが、彼らを見ていて思ったことは「必要条件ではない」

何も知らないことは結局の処、大したハンデにはならない。しかし、自ら学ばない奴は置いて行かれる。真綿に水がしみこむように、吸収できる者、そしてホンの少しの努力を続けることが出来る者だけが伸びてくる。仕事ちゃ、そんなもん。

もちろん職人の世界とは違うが、わたしが出会った中にはとてもこの人には追いつけない、と思わざるを得ない凄い板前さんがごろごろしていた。生き方だって様々だった。

今はただ、彼に多くの佳き出会いがあることを祈っている。

ビンディングペダル [Clipless pedals]



引越準備に明け暮れながらも、天気のいいときは時間を惜しんで毎日チャリに乗っている息子。今日は高良山、いや森林公園、明日は河川敷を西へ東へと、まったくサイクルライフにハマっている。

こうなると物足りなくなってきたようで、ついにノーマルペダルからビンディングペダル(Clipress Pedal)に交換と相成った。靴はサイズがでかいので計測して注文(苦笑)

到着したペダルを取り付けてもらって早速試乗。ビンディングペダルは慣れるまでがちょっと難儀するが、慣れれば快適なペダリングが意識しなくても出来るようになる。ペダルは踏むと云うより回すものというのが実感できる。

慣れるまでは何度かシューズを外し損なう、いわゆる「立ちゴケ」も経験するやろ。

昔からこのビンディングシューズはあるのだが、一番違和感があるのがチャリを降りたとき。ソールについているクリート(靴をペダルにロックするためのパーツ)が出っ張っているため、歩きづらいこと。かちゃかちゃと音をたて、かかとで歩く感じになる。

一部、MTB用とかにソールの中に収まるタイプもあるようだが、ロード用は概ね出っ張っている。ロードのスタート&ゴール地点やトライアスロンのトランジションではみんな一斉にペンギン歩きだ。

そんなこんなのチャリライフも、来月からは横浜がベース。こっちにいる間にスネをかじり倒す勢いで必要最低限の道具も購入。いつも近くに誰か居るわけでもなく、トラブルにも自分で対処しなくちゃならない。

ということで、スペアのチューブ、工具、炭酸ガスボンベもサドルバッグに詰め込んでイワイさん処から発送。しばらくはチャリとお別れだな<大げさ(笑)

マンモス大学の卒業式



3月19日福岡大学卒業式。理学部応用数学科じゃ劣等生を決め込んで(爆) いた息子も無事卒業。4年前の入学式の時と同じ「2記念」のでかいホールへ。一万人近い人の群を再び見る。

今年の卒業生は学部4,059人、大学院243人で計4,302人。学生数2万人と云われるマンモス大学だが、60万m2の広大な敷地に全ての学部があるのはおそらくここくらいだろう。

開式時刻は10時だったんだが、時間になっても始まらない。前方から詰めて着席するように指導があっているようだが、後ろ半分はまだ空席。開式を遅らせ、学長の挨拶が始まってもまだパラパラと入館する卒業生が居る。

保護者席はぐるりと取り囲んだ2階席なのだが、上から見ていると小声で私語を続ける者、スマホを触っている者・・・五月蝿い親父と思われるかも知れないが、一体誰のための卒業式なのか。

列席する卒業生の中にはガチャピンの着ぐるみで出席していたツワモノもいた。しかしこれはノープロブレムだ。未成年じゃあるまいし、そんなのはどうでもいい。むしろわたし的には、100%の学生が同じ黒服に身を包んでの就活姿のほうが異様に見える。ま、彼もガチャピンで就活する根性はなかっただろうがね。

息子の友人の中には、開式前に退席、近くの定食屋の親父の処に卒業の挨拶をしにいった者もいた。これもノープロブレム。彼らにとっては、儀式よりも定食屋の親父への御礼と報告の方が大切だったに違いない。それでいいと思う。

しかしもし、式典に出るのなら他に及ぼす影響、最低限の儀礼には配慮するのがオトナの分別ってもんじゃないのか。

2年前、卒業式を迎えるはずだった娘は衣装も決め、用意を整えていたものの、寸前の「3.11」で結局卒業式は中止になった。自宅には「学位記(卒業証書)」が郵送でそっけなく送られてきた。同じ境遇だった関東の大学は多い。

何に、誰に、とは云わない。もっと感謝しろよ。

オリンピックでメダルを取った選手が口々に「回りの支えで・・・」などと優等性的に宣うのを見ていて、誰か一人くらいは「死ぬほど頑張りました。誰でもない、このオレが頑張ったから、ここに立てた・・」的なコメントを吐く奴はいないものかと思っていたわたしだが、この日はまったく違うことを考えていた。

お小言はここまで!ともあれ、みんな卒業おめでとう。次世代のニッポンは君たち次第なのだ。


過去記事:学位授与式中止 [kurumejin.jp/archives/51225270]
過去記事:七隈トンビ(入学式) [kurumejin.jp/archives/50791873]


七福亭ラーメン

七福亭ラーメン

息子が無事4年間での卒業を控え、土日でアパートを引き払いに行った。2年間、大学の指定寮住まいの後、この学生アパートに移り住んで2年。その間に冷蔵庫や洗濯機などそれなりに物も増え、結局ウチのワゴン車で2日間で4往復するハメに(汗)

日曜日、最後の荷物を積み終わった後、近くの七福亭ラーメンに寄った。ここは、入学するときに初めて入ったラーメン店だが、一杯450円という値段ながら雑味が無くとても美味しい。まだ若いご主人と奥さん(たぶん)の二人で切り盛りしてある。

福大周辺には安くてボリュウムたっぷりの店がたくさんあり、ラーメンも値段だけなら一杯270円という超安値の店もある。大学の食堂も3軒あって、学生数2万人を越すマンモス大学の胃袋を受け持っている。

息子の話にもよく登場する三食(第三食堂)のおばちゃんにはなにかとオマケしてもらったらしいが、ホント、この大食漢の息子を食べさせていただいてありがとうございました。他にも、お世話になったお店一軒一軒に御礼して廻りたいくらいだ。

後は卒業式を待つのみ。みなさん、大変お世話になりました。

七福亭ラーメン  [〒814-0143 福岡市城南区南片江2-30-24 TEL.092-862-5152]

より大きな地図で かもめさんの広域MAP-en を表示

雛飾り



スペースの関係もあり、ここ最近はお内裏様とお雛様の対だけを飾ったりしていたのだが、今年は気合いを入れて三人官女、五人囃子に右大臣、左大臣まで引っ張り出してみた。

実は東京にいる娘が蹴躓いて足指を骨折したらしく、不自由しているらしい。だからというわけでもないけど、ま、親バカなだけです。

しかし、病院関係の仕事で長期に宿泊されているお客様からは「病院は季節感がないからねぇ」と喜んでいただけたようで、少なからず不特定多数の人が往来する場所を提供するホテルとしては大事なことだと改めて思いました。

娘の骨折は単純骨折のようで、完治にあまり時間は掛からないだろうけど「来月帰省するときは大丈夫?」とのカミサンの声に「這うてでも帰ってくる!」・・あまり無理せんごとね(苦笑) 

端楽(働く)

端楽 端楽(はたらく)

漢字はわたしの勝手な当て字だが、義母がことあるごとに云っていたらしい。

「働くってことは、端(はた)を楽(らく)にすることよ」

年末も押し迫った頃、息子宛の正式な内定通知が文書で届いた。家族一同、ホッと一安心(苦笑) さっそく丁寧に返信を送った息子。これで春からは、横浜行きが決定した。

親的にはちょっと寂しくなるが、自分で切り開いた道。頑張って欲しい。

それにしても日本の社会は医学部などの専門的な学部以外では、大学でのキャリアがほとんど用を足さない仕組みになっているのか「理学部応用数学科」などという学科のキャリアは就活ではあまり用を足している気がしない(苦笑)

まあ、いい。かってジョブズもそう云っていたように、いつか自分の中でバラバラになっていた点と点が、一つに繋がってくる時が来るだろう。4年間の大学時代に出来た友人との時間やぎりぎりまでやってきた硬式野球部の経験は、かけがえのないものに違いない。人生に無駄などないのだから。

いつだったか「仕事ちゃ、人のためにするもんやろうもん」と云い放った息子。その気構えを信じているさ。
おめでとう。

仕事ちゃ、人のためにするもんやろうもん(*過去記事) [kurumejin.jp/archives/51293223]
Steve Jobs' 2005 Stanford Commencement

奮闘 就活戦線

奮闘 鉛筆書きで下書きをした後、丁寧に清書をしている息子。

まだまだ就活戦線奮闘中だ。

先日、きちんと撮った方がいいと云うことで市内の写真館に出向き、履歴書用の写真を撮ってきた。

取りあえず焼き増しは20枚だと(汗)  20枚も。なのか?これで足りるのか?

就活は婚活のようなものとよく云われるが、まったくその通りかも知れない。

アドバイスしてやることは出来ても、結局のところ道は自ら切り開いて行くしかない。

仕事は人のためにするもの」と云い放っちやがった息子。お前は正しい。まだ決まらない就職先には、親もやきもきするけど、その奮闘ぶりを見守ってるぜ。

就活土産? 東京ばな奈ツリー

東京ばな奈ツリー 久々の東京土産の定番、東京ばな奈。就活で東京へ出かけた子どもたちからのお土産だ。

試験が終わった後、完成したばかりのスカイツリーで買ってきたようだ。ツリーは下から眺めただけだったらしいけど。

「東京ばな奈ツリー」はここのオリジナルバージョンだそうだ。

最近じゃあ、大学へ進学するまでというより、無事就職するまでが親の責任みたいな風潮だが、一発勝負の大学受験と違って就活は実に長い。早くどこかの内定をもらってきて欲しいもんだが、なかなかそう都合良くはことが運ばない。

一つの会社で一次試験から最終決定まで数カ月と云うところばかりだ。本人も辛いだろうけど親にとっても長い1年。

不採用の通知を「お祈りメール」というらしい。曰く「・・・無事、採用になられますよう、お祈りいたしております」的な内容からそう呼ばれているようだけど、ホント、祈るしかないよなあ。

仕事ちゃ、人のためにするもんやろ?

SMplayers 大学も3年になって既に野球部を引退した息子だが、レクレーション的なスポーツとして野球に関わりたい気持ちは強いようで、今は秋に行われる学部対抗のソフトボールの準備に余念がない。

「SM Players」理学部応用数学科 [Science & Mathematics] のチームでTシャツまで作る懲りよう(苦笑) 一人1,000円ずつの費用を自分で集め、Tシャツ制作を頼んできた。こういうことは動きが早い。週末から始まるトーナメントに間に合うように段取り。

周りは既に就活モードに突入で、息子もあれこれと自分で将来の道を探っている。大学入学の時には、あわよくばプロ野球、そうでなければ高校の数学の教師になり、かつ子どもたちに野球を教える立場になりたいと宣っていたが、若者の夢は変遷する。

現代の学生らしく、現実の厳しさも何となく感じてはいるのだろう、一般企業なども視野に入れてあれこれ考えているらしい。

昨日、完成したTシャツを引き取りに来たとき、母親がなにげに聞いてみると警察官や消防士も候補 に入っている様子。母親的には危険が伴う職業には就いて欲しくないことは、常々云っていたにも関わらず、だ。

「よりによって、何であんたが人のためにそげん危険な職業に就かんでも・・」

親ごころというか、母親のその言葉に息子が答える。

「何でん、人のためにするとが仕事やろうもん。学校の先生でっちゃ、子どものためにするもんやし、市民のためにするのが役所やし・・」

・・・!

面と向かってそんなことを教えた記憶はないが、息子よ、お前の人生や社会の捉え方は正しい。
・・・子どもって、知らぬ間に成長するものですね。
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